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  • 第7話 資格を取るなら“名称独占”より“業務独占”を考える

    退職後に資格を取ろうと考える人は少なくありません。

    私自身もいくつかの資格を取りました。
    その中には国家資格もあります。
    ただ、正直に言えば、取得した資格証の多くは、今も引き出しの奥に眠っています。

    これは少し情けない話でもありますが、資格取得を考えている方には、あえて書いておきたいことです。

    資格は、取れば人生が変わる魔法の道具ではありません。

    もちろん、資格が役に立つ場面はあります。
    再就職で評価されることもあるでしょう。
    副業や独立の入口になることもあります。
    学ぶ過程で知識が増え、人とのつながりができることもあります。

    ただし、資格には種類があります。
    そして、その違いを知らずに高い受講料と時間をかけると、思ったほど仕事につながらない場合があります。

    資格には、大きく分けて「業務独占資格」と「名称独占資格」があります。

    業務独占資格とは、その資格を持っていなければ、特定の業務を行ってはいけない資格です。
    たとえば医師や弁護士などが分かりやすい例です。
    もちろん、これらは簡単に取れる資格ではありません。
    長い学習期間や実務経験が必要なものも多くあります。

    一方、名称独占資格とは、その資格を持っていなければ、その名称を名乗ることはできないものの、似たような業務自体は資格なしでも行える場合がある資格です。
    つまり、肩書きとしては意味がありますが、その資格がなければ仕事そのものができない、というわけではないケースがあります。

    ここを理解しておくことは大切です。

    退職後に資格を取る目的が、学び直しや自己成長であれば、名称独占資格でも十分意味があります。
    講座に通い、新しい知識を得て、人と出会う。
    それだけでも価値はあります。

    しかし、資格を使って実際に収入を得たいと考えるなら、もう少し慎重に選ぶ必要があります。

    その資格を持つことで、どんな仕事ができるのか。
    実際に求人はあるのか。
    未経験の60代でも採用される可能性はあるのか。
    独立する場合、顧客をどう獲得するのか。
    資格保持者はすでにどれくらいいるのか。
    その市場は伸びているのか、縮んでいるのか。

    ここまで調べてから動いたほうがよいと思います。

    資格学校の広告を見ると、どうしても夢が広がります。
    「人生後半の新しいキャリア」
    「定年後も活躍できる」
    「未経験から目指せる」
    こうした言葉は魅力的です。

    しかし、広告は基本的に受講してもらうためのものです。
    その資格を取った後、本当に仕事になるかどうかは、別の問題です。

    私自身、資格を取ったことで得たものは多くありました。
    知識も増えました。
    人との出会いもありました。
    退職後の空白感もかなり埋まりました。
    その意味では、講座に通ったことを後悔していません。

    ただ、資格そのものが直接収入につながったかと言えば、そう単純ではありません。

    退職後の資格取得には、二つの目的があると思います。

    一つは、実利です。
    再就職、副業、独立、収入。
    これは現実的に考える必要があります。

    もう一つは、心理的な意味です。
    学び直し、居場所、仲間、自信、生活リズム。
    こちらも、決して軽く見てはいけません。

    大切なのは、自分がどちらを求めているのかを、ある程度分かっておくことではないでしょうか。

    収入につなげたいなら、業務独占性や求人状況、実務経験の必要性まで調べる。
    居場所や学びを求めるなら、講座の雰囲気や受講生同士の交流も含めて選ぶ。

    どちらが正しいという話ではありません。
    ただ、目的を取り違えると、後でがっかりしやすくなります。

    資格を取ることは、退職後の人生を動かすきっかけになります。
    しかし、資格はゴールではなく、あくまで道具です。

    その道具を何に使うのか。
    それを考えながら選ぶことが、退職後の学び直しでは大切なのだと思います。

    最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
    次回は、会社に行かなくなった男が家庭で直面することについて、私の体験をもとに書いてみます。

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  • 第6話 資格よりも“居場所”が欲しかったのかもしれない

    資格講座に通っていて、だんだん分かってきたことがあります。

    それは、私を含め、多くの人が本当に欲しかったものは、資格そのものだけではなかったのではないか、ということです。

    もちろん、資格取得を真剣に目指している人もいます。
    試験に合格し、その資格を使って転職したい。
    独立したい。
    副業につなげたい。
    そういう明確な目的を持っている人は、話していても熱量が違います。

    一方で、定年退職前後の男性たちの中には、少し違う雰囲気の人もいました。

    勉強はしている。
    授業にもきちんと出る。
    しかし、資格取得後に何をするのかを聞くと、少し言葉が濁る。

    「まあ、取っておいて損はないかな」
    「何かに使えるかもしれないし」
    「今すぐ仕事にするかは分からないけど」

    私自身も、まさにそのような感じでした。

    正直に言えば、最初からその資格で仕事をする強い覚悟があったわけではありません。
    興味が続けば試験を受ける。
    面白ければ資格を取る。
    その先のことは、取ってから考える。
    そんな気持ちでした。

    けれど、講座に通うこと自体は楽しかったのです。

    毎週、教室へ行く。
    同じ顔ぶれに会う。
    授業の前後に雑談をする。
    分からないところを教え合う。
    たまには飲みに行く。

    驚いたのは、飲み会や食事会の出席率の高さでした。
    授業よりもこちらに力が入っているのではないかと思うほど、皆さんよく集まります。
    もちろん私も参加していましたので、人のことは言えません。

    そこには、会社員時代とは違う気楽さがありました。
    肩書きで呼ばれることもありません。
    元の会社での上下関係もありません。
    それぞれが、ただの受講生として集まっている。

    この「ただの受講生」という立場が、退職後の人間には案外心地よいのです。

    会社では、どうしても役職や実績がつきまといます。
    退職後も、元の肩書きを引きずってしまう人は少なくありません。
    しかし講座では、全員が同じスタートラインに立ちます。
    年齢や経歴の違いはあっても、同じテキストを開き、同じ課題に向き合う。

    それが、新しい関係を作るきっかけになります。

    興味深かったのは、30代くらいの女性たちとの会話でした。
    彼女たちは、現実的に自分のキャリアに悩んでいる人が多かったように思います。
    今の仕事を続けてよいのか。
    結婚や出産との関係をどう考えるのか。
    職場での評価に納得できない。
    これから何を軸に働けばよいのか。

    そうした話を聞くと、50代、60代の男性たちは、自分の経験をもとに、いろいろと話したくなります。
    もちろん、語りすぎは禁物です。
    昔話や武勇伝になってしまうと、相手にとっては迷惑でしょう。

    それでも、相手が本当に相談してくれたとき、自分の経験が少し役に立つことがあります。
    そのとき、こちらもまた救われるのです。

    誰かにアドバイスをする。
    自分の経験を聞いてもらう。
    それによって、まだ自分にも役割があると感じられる。

    これは、退職後の男性にとって、かなり大きなことではないでしょうか。

    心理学やキャリアの考え方では、人が年齢を重ねる過程で、次の世代に何かを渡していくことが大切だとされることがあります。
    専門用語を使わなくても、感覚としては分かります。
    若い人に自分の経験を少し役立ててもらう。
    それは、自分の人生を肯定することにもつながります。

    資格講座で起きていたことは、単なる勉強ではありませんでした。

    学び直し。
    人とのつながり。
    居場所。
    小さな役割。
    そして、まだ自分が誰かの役に立てるという感覚。

    それらが混ざり合っていたのだと思います。

    資格そのものが無意味だとは思いません。
    しかし、退職後の学び直しにおいては、資格取得という結果だけでなく、その過程で得られる人間関係や居場所にも目を向けてよいのではないでしょうか。

    最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
    次回は、資格を取るなら考えておきたい「名称独占」と「業務独占」の違いについて書いてみます。

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  • 第5話 人はなぜ資格講座に集まるのか

    旅に少し疲れた頃、私は資格取得の講座に通うことにしました。

    理由を聞かれれば、表向きにはこう答えていたと思います。

    「新しい分野を学んでみたかったから」
    「将来の可能性を広げたかったから」
    「退職後のキャリアを考えるため」

    どれも嘘ではありません。

    しかし今振り返ると、もう少し正直な理由がありました。
    私は、どこかに通いたかったのです。
    決まった曜日に、決まった場所へ行き、同じ目的を持った人たちと顔を合わせる。
    そういう生活のリズムが欲しかったのだと思います。

    私は退職後の数年間で、いくつかの資格講座に通いました。
    主催する団体もそれぞれ違いました。
    企業系のもの、予備校系のもの、協会系のもの。
    集まってくる人たちの年齢や背景も、かなり幅広かったように思います。

    そこで興味深かったのは、定年退職前後の人が想像以上に多かったことです。

    もちろん若い人もいました。
    特に30代くらいの女性は比較的多く、皆さん真剣に自分のキャリアを考えているように見えました。
    一方で、50代後半から60代の男性も、かなりの割合でいました。

    私はもともと、人がなぜそこに来ているのかに興味を持つほうです。
    少し親しくなると、差し支えない範囲で、なぜこの講座を受けているのか尋ねてみました。

    返ってくる答えは、多くの場合、似ていました。

    「自分のキャリアのためです」
    「自分磨きです」
    「今後の可能性を広げたくて」
    「資格があれば何かに役立つと思って」

    どれも立派な答えです。
    社会人があらためて学び直す理由として、模範解答と言ってよいかもしれません。

    ただ、しばらく一緒に過ごしていると、少し違うものも見えてきます。

    本当にその資格を使って仕事をしたいと強く思っている人は、実はそれほど多くなかったように感じました。
    もちろん、明確な目標を持っている人もいました。
    資格取得後の開業や転職を見据えて、真剣に勉強している人もいました。

    しかし一方で、講座に通うことそのものを楽しんでいる人も多かったのです。

    毎週、同じ教室に集まる。
    休み時間に話す。
    授業後に食事へ行く。
    飲み会をする。
    試験勉強の話をしながらも、だんだん人生相談のような話になる。

    この時間が、皆にとってかなり大きな意味を持っていたのではないかと思います。

    私もその一人でした。

    講座に通っている間は、自分に予定があります。
    学ぶことがあります。
    会う人がいます。
    名前を呼ばれます。
    何かを質問されます。
    時には、自分の経験が誰かの役に立つこともあります。

    それだけで、退職後の空白感は少しやわらぎました。

    人は、ただ知識を得るためだけに学びの場へ行くのではないのかもしれません。
    特に退職後の人間にとって、講座は学習の場であると同時に、居場所でもあります。

    会社員時代には、職場が半ば強制的に居場所を提供してくれていました。
    好むと好まざるとにかかわらず、そこへ行けば自分の席があり、自分の役割がありました。

    退職後は、それがなくなります。
    だからこそ、学び直しの場が、新しい居場所の候補になるのだと思います。

    もちろん、資格講座に通えばすべて解決するわけではありません。
    費用もかかりますし、資格によっては実用性に差もあります。
    講座選びを間違えると、思ったような学びにならないこともあります。

    それでも、退職後に家にこもりがちになっている人にとって、何かを学ぶ場所へ出かけることは、一つのきっかけになるのではないでしょうか。

    資格を取るためだけではなく、人と会うために学ぶ。
    予定を作るために学ぶ。
    自分がまだ変われると感じるために学ぶ。

    そう考えると、資格講座の意味は、少し違って見えてきます。

    最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
    次回は、資格講座で見えてきた「本音と建前」について、もう少し書いてみます。

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  • 第4話 ひとり旅の先で見つかった“虚無感”

    退職後、私はしばらく旅行をしていました。

    もともと旅は嫌いではありませんでした。
    会社員時代にも、仕事や私的な旅行でいろいろな場所へ行く機会がありました。
    それでも、退職後に時間ができたら、まだ行ったことのない場所をゆっくり回ってみたいという思いがありました。

    特に、東ヨーロッパの国々には以前から興味がありました。
    西ヨーロッパの有名都市とは少し違う、静かで、どこか時間の流れがゆるやかな街を歩いてみたかったのです。

    退職してしばらくは、毎月のように旅に出ました。
    月の半分ほどを海外で過ごすこともありました。
    古い街並みを歩き、教会を見て、市場をのぞき、知らない料理を食べる。
    会社員時代にはできなかった過ごし方でした。

    最初のうちは、本当に楽しかったのです。

    平日に空港へ向かうだけで、少し自由になった気がしました。
    誰に許可を取る必要もない。
    帰国後すぐに出社する必要もない。
    予定は自分で決められる。

    ところが、半年ほど経った頃から、旅に出る前の気分が変わってきました。

    以前なら、航空券を取っただけで少し心が浮き立ちました。
    しかし、その頃には、出発日が近づいても、あまり気持ちが動かなくなっていました。
    むしろ、準備が面倒に感じられることさえありました。

    旅先に着けば、それなりに楽しめます。
    見たことのない景色はあります。
    食事もおいしい。
    街歩きも悪くない。

    けれど、ホテルの部屋に戻ると、ふとした瞬間に、何とも言えないむなしさが出てきました。

    この景色を見て、私はどうするのだろう。
    この経験は、誰につながっているのだろう。
    私は今、何のためにここにいるのだろう。

    そんなことを考えるようになりました。

    もちろん、旅に意味を求めすぎる必要はないのかもしれません。
    ただ楽しめばいい。
    それも一つの考え方です。

    でも私の場合、楽しむだけでは埋まらないものがありました。

    それは、社会との接点を失った感覚だったのだと思います。

    会社員時代は、良くも悪くも、自分は何かの一部でした。
    組織の一員であり、仕事の流れの中にいました。
    誰かから連絡が来て、誰かへ返事をし、会議があり、資料があり、締め切りがある。
    面倒ではありましたが、自分が社会のどこかに引っかかっている感覚はありました。

    退職後の旅には、それがありません。

    どこへ行っても自由。
    何をしても自由。
    けれど、誰にも待たれていない。
    誰にも報告しなくていい。
    誰にも必要とされていない。

    自由と孤立は、紙一重なのかもしれません。

    ひとり旅だったことも影響していると思います。
    もし夫婦や友人と旅をしていれば、感じ方は違ったかもしれません。
    ただ、当時の私を支配していたのは、観光地での感動よりも、どこかにぽっかり空いた穴のような感覚でした。

    それを、今の言葉で言えば「虚無感」だったと思います。

    自分の存在価値を感じられなくなる。
    自分は社会にとって必要な存在なのかと考えてしまう。
    そんな問いが、旅先の静かなホテルの部屋で、急に浮かんでくるのです。

    旅行そのものが悪いわけではありません。
    むしろ、退職後に旅をすることはよい経験です。
    会社員時代には見えなかった景色も見えます。
    自分を少し遠くから眺める機会にもなります。

    ただ、旅だけで退職後の長い時間を満たせるかというと、少なくとも私には難しかった。

    旅から帰ったあと、私は少しずつ考え始めました。

    自分には、どこかに所属する感覚が必要なのではないか。
    誰かと会い、話し、役割を感じられる場所が必要なのではないか。

    その思いが、のちに資格講座へ通うきっかけになりました。

    最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
    次回は、人はなぜ退職後に資格講座や学び直しの場へ向かうのかについて書いてみます。

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  • 第3話 悠々自適は、なぜ思ったほど幸せではないのか

    退職前、私はどこかで「仕事を辞めたら、もっと自由で楽しい毎日が待っている」と思っていました。

    朝は好きな時間に起きる。
    満員電車に乗らなくていい。
    嫌な会議もない。
    上司への報告もない。
    平日に旅行へ行ける。
    読みたかった本も読める。
    好きなだけ散歩もできる。

    こう並べてみると、たしかに理想的な生活に見えます。

    もし住宅ローンもなく、生活費の心配も少なく、退職金や年金の見通しも立っているなら、なおさらです。
    「悠々自適に暮らせばいいではないか」と思うのは自然なことだと思います。

    実際、退職直後の数週間は、かなり解放感がありました。

    平日の昼間に街を歩いているだけで、少し得をしたような気分になります。
    会社員時代には行けなかった時間帯に映画を見たり、空いている店で昼食をとったりする。
    それだけでも、最初は新鮮でした。

    しかし、しばらくすると、その新鮮さは薄れていきます。

    毎日が休日になると、休日のありがたみが減っていくのです。

    会社員時代の休日がうれしかったのは、平日に仕事があったからかもしれません。
    忙しい日々があり、その合間にある休みだからこそ、休息には価値がありました。
    ところが、毎日が休みになると、休みは休みでなくなります。

    これは贅沢な悩みだと言われれば、その通りです。
    けれど、当事者にとっては案外切実です。

    趣味がある人は大丈夫だと思うかもしれません。
    ゴルフ、釣り、読書、映画、旅行、園芸、料理。
    どれも素晴らしい趣味です。

    ただ、その趣味を10年、15年、毎日の生活の中心に置き続けられるか。
    そこは一度、考えてみてもよいのではないでしょうか。

    趣味は、仕事や義務の合間にあるから輝く面があります。
    それが生活の主役になったとき、同じ熱量を保てるかどうかは、人によって分かれると思います。

    もちろん、趣味を本当に深められる人もいます。
    退職後に絵を始めて展覧会に出す人もいれば、楽器を始めて仲間を作る人もいます。
    そういう生き方は、とてもよいと思います。

    ただ、私の場合は、そう簡単ではありませんでした。

    時間はある。
    お金も、当面の生活には大きな不安がない。
    行きたいところへ行ける。
    やりたいこともできる。

    それなのに、どこか満たされない。

    この感覚は、自分でも最初はよく分かりませんでした。

    会社員時代には、自由が欲しいと思っていた。
    ところが、いざ自由になってみると、今度は何かに縛られていた頃のほうが、自分の輪郭がはっきりしていたように感じる。

    人間は不思議なものです。

    忙しいときには、自由を求めます。
    自由になりすぎると、今度は役割を求めます。

    退職後の「悠々自適」が思ったほど幸せではない理由は、ここにあるのかもしれません。
    人はただ時間があるだけでは、なかなか満たされないのです。

    自分には今日やることがある。
    誰かと会う予定がある。
    小さくても役割がある。
    自分の行動が、誰かや何かにつながっている。

    そうした感覚が、思っている以上に大切なのではないでしょうか。

    私自身、退職後しばらくしてから、ようやくそのことに気づき始めました。
    自由だけでは足りない。
    必要なのは、自由な時間の中に、自分なりの意味を置いていくことなのだと。

    最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
    次回は、私が退職後に始めたひとり旅と、その先で感じた虚無感について書いてみます。

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  • 第2話 定年退職は、もう“隠居”ではなくなった

    定年退職という言葉には、どこか一区切りの響きがあります。

    長く働いた。
    よく頑張った。
    あとはゆっくり過ごせばよい。

    昔であれば、それは自然な感覚だったのかもしれません。
    60歳で会社を離れ、あとは年金を受け取りながら、趣味や家族との時間を楽しむ。
    いわゆる「隠居」という言葉にも、ある種の穏やかさがありました。

    しかし、今の60歳前後は、本当に隠居する年齢なのでしょうか。

    私の実感としては、まったくそうではありませんでした。

    退職した直後、まず感じたのは、体力的にはまだ働けるということです。
    もちろん若い頃と同じとは言いません。
    徹夜も無理ですし、無理な飲み会の翌日はこたえます。
    しかし、頭も体も、まだ十分に動く。
    経験もある。
    社会に対して何かできる余地もある。

    にもかかわらず、会社という仕組みの中では、ある年齢を過ぎると急に扱いが変わっていきます。

    役職定年。
    再雇用。
    嘱託。
    出向。
    賃金の見直し。

    もちろん企業にも事情があります。
    利益を出し続けなければならない以上、年齢の高い社員をいつまでも同じ条件で雇い続けることが難しい面もあるのでしょう。
    それは頭では理解できます。

    ただ、当事者としては、なかなか簡単には割り切れません。

    昨日まで責任ある立場にいた人が、ある日を境に肩書きを失う。
    会議での発言力が弱くなる。
    部下だった人が上司になる。
    給与も下がる。
    それでも雇用は続いているのだからよいではないか、と言われる。

    たしかに、雇用が続くこと自体はありがたいことです。
    しかし、人間は賃金だけで働いているわけではありません。
    役割や承認、自分がここにいてよいという感覚も、働くうえでは大きな意味を持っています。

    退職や役職定年で失われるものは、仕事そのものだけではありません。
    名刺、肩書き、社内の人間関係、毎日の行き先、自分が必要とされている感覚。
    それらが少しずつ、あるいは一気に手から離れていきます。

    この喪失感は、外から見るよりもずっと大きいものではないでしょうか。

    一方で、現代の健康寿命は伸びています。
    細かな数字は年によって変わりますが、少なくとも多くの人にとって、60歳や65歳で人生が終わりに向かうという感覚ではなくなりました。
    退職後にも、まだ10年、15年、場合によってはそれ以上、元気に活動できる時間が残っています。

    これは喜ばしいことです。
    しかし同時に、難しいことでもあります。

    なぜなら、退職後の時間が長くなったぶん、その時間をどう生きるかという課題も大きくなったからです。

    昔のように、退職後は数年ゆっくりして、あとは自然に老後へ入っていく、という時代ではなくなりました。
    今は、退職後にもう一度、自分の生活を組み立て直す必要があります。

    仕事を続けるのか。
    学び直すのか。
    地域に関わるのか。
    趣味を深めるのか。
    家族との関係を見直すのか。
    一人の時間をどう扱うのか。

    これらを、誰かが自動的に用意してくれるわけではありません。

    会社員時代は、会社がかなりの部分を決めてくれました。
    出社時間、会議、目標、評価、役割。
    不満も多かったのですが、同時に、人生の枠組みを会社が作ってくれていたとも言えます。

    退職すると、その枠組みが外れます。
    自由になります。
    けれど、自由になるということは、自分で決めなければならないということでもあります。

    ここで戸惑う人は、決して少なくないと思います。
    私自身もそうでした。

    定年退職は、もう単なる隠居ではありません。
    むしろ、人生の後半をどう設計し直すかという、大きな転機なのではないでしょうか。

    そして、その転機は、準備なしに迎えるには少し大きすぎるものかもしれません。

    最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
    次回は、退職後によく語られる「悠々自適」が、なぜ思ったほど簡単ではないのかについて書いてみます。

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  • 第1話 人生7回裏に差し掛かった人たちへ

    投稿者名:七回裏の男

    はじめまして。七回裏の男と申します。

    長く会社員として働いたあと、私は定年より少し早く会社を離れることになりました。
    理由はいろいろありますが、ここでは細かな事情には触れないでおこうと思います。身の上話を細かく書きすぎると、読む方にとっても少し重くなりますし、私自身の身元にも関わってきますので。

    退職後は、それまでとはまったく違う分野を学び直し、いくつかの資格も取りました。
    ただ、資格を取ったからといって、すぐに人生が劇的に変わったわけではありません。むしろ、その過程で見えてきたのは、退職後の人間が本当に求めているものは、資格そのものよりも、居場所や役割なのではないか、ということでした。

    このブログは、定年退職、あるいは早期退職を迎えた同世代の方に向けて書いています。

    タイトルにある「人生7回裏」という言葉は、野球の比喩です。
    人生を9回まである試合だと考えたとき、60歳前後は、まだ試合が終わったわけではありません。
    ただし、1回から6回までとは、少し戦い方が変わってくる時期でもあります。

    若い頃のように、力任せにフルスイングすればよいわけではない。
    けれど、まだ8回も9回も残っている。
    もしかすると、ここから試合の流れが変わることもある。

    そんな意味を込めて、「7回裏」と呼ぶことにしました。

    会社員生活を長く送っていると、自分でも気づかないうちに、会社の中での肩書きや役割が、自分そのもののようになっていきます。
    名刺があり、部署があり、役職があり、予定表が埋まっている。
    毎朝行く場所があり、会う人がいる。
    それは窮屈でもありますが、同時に、自分の輪郭を保ってくれるものでもあったのだと、退職してから気づきました。

    仕事を離れると、時間はできます。
    自由にもなります。
    しかし、その自由は、最初から心地よいものとは限りません。

    自由になったはずなのに、どこか落ち着かない。
    予定がないことに安心するどころか、不安になる。
    朝起きても、行く場所がない。
    誰からも呼ばれない。
    誰にも必要とされていないような気がする。

    私自身もそうでした。

    もちろん、退職後の感じ方は人それぞれです。
    すぐに趣味に打ち込める人もいるでしょう。
    地域活動に自然に入っていける人もいると思います。
    家族との時間を心から楽しめる人もいるかもしれません。

    ただ一方で、私のように、思ったよりも退職後の時間を持て余し、自分の存在価値のようなものを考え込んでしまう人も、少なくないのではないでしょうか。

    このブログでは、私自身の退職後の体験をもとに、居場所、生きがい、学び直し、夫婦の距離感、人とのつながりについて書いていきます。
    ときどき、キャリアや心理学の考え方にも触れますが、難しい論文の解説をするつもりはありません。
    あくまで、同じ時期を歩いている方と一緒に考えるような文章にしたいと思っています。

    人生7回裏。
    まだ試合は終わっていません。

    ただ、これまでと同じ打ち方では、少し苦しくなる場面もあるかもしれません。
    では、これからどう打席に立つのか。

    そんなことを、少しずつ書いていきたいと思います。


    最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
    次回は、定年退職がなぜ昔のような「隠居」ではなくなったのかについて、考えてみます。

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