ブログ

  • 第3話 悠々自適は、なぜ思ったほど幸せではないのか

    退職前、私はどこかで「仕事を辞めたら、もっと自由で楽しい毎日が待っている」と思っていました。

    朝は好きな時間に起きる。
    満員電車に乗らなくていい。
    嫌な会議もない。
    上司への報告もない。
    平日に旅行へ行ける。
    読みたかった本も読める。
    好きなだけ散歩もできる。

    こう並べてみると、たしかに理想的な生活に見えます。

    もし住宅ローンもなく、生活費の心配も少なく、退職金や年金の見通しも立っているなら、なおさらです。
    「悠々自適に暮らせばいいではないか」と思うのは自然なことだと思います。

    実際、退職直後の数週間は、かなり解放感がありました。

    平日の昼間に街を歩いているだけで、少し得をしたような気分になります。
    会社員時代には行けなかった時間帯に映画を見たり、空いている店で昼食をとったりする。
    それだけでも、最初は新鮮でした。

    しかし、しばらくすると、その新鮮さは薄れていきます。

    毎日が休日になると、休日のありがたみが減っていくのです。

    会社員時代の休日がうれしかったのは、平日に仕事があったからかもしれません。
    忙しい日々があり、その合間にある休みだからこそ、休息には価値がありました。
    ところが、毎日が休みになると、休みは休みでなくなります。

    これは贅沢な悩みだと言われれば、その通りです。
    けれど、当事者にとっては案外切実です。

    趣味がある人は大丈夫だと思うかもしれません。
    ゴルフ、釣り、読書、映画、旅行、園芸、料理。
    どれも素晴らしい趣味です。

    ただ、その趣味を10年、15年、毎日の生活の中心に置き続けられるか。
    そこは一度、考えてみてもよいのではないでしょうか。

    趣味は、仕事や義務の合間にあるから輝く面があります。
    それが生活の主役になったとき、同じ熱量を保てるかどうかは、人によって分かれると思います。

    もちろん、趣味を本当に深められる人もいます。
    退職後に絵を始めて展覧会に出す人もいれば、楽器を始めて仲間を作る人もいます。
    そういう生き方は、とてもよいと思います。

    ただ、私の場合は、そう簡単ではありませんでした。

    時間はある。
    お金も、当面の生活には大きな不安がない。
    行きたいところへ行ける。
    やりたいこともできる。

    それなのに、どこか満たされない。

    この感覚は、自分でも最初はよく分かりませんでした。

    会社員時代には、自由が欲しいと思っていた。
    ところが、いざ自由になってみると、今度は何かに縛られていた頃のほうが、自分の輪郭がはっきりしていたように感じる。

    人間は不思議なものです。

    忙しいときには、自由を求めます。
    自由になりすぎると、今度は役割を求めます。

    退職後の「悠々自適」が思ったほど幸せではない理由は、ここにあるのかもしれません。
    人はただ時間があるだけでは、なかなか満たされないのです。

    自分には今日やることがある。
    誰かと会う予定がある。
    小さくても役割がある。
    自分の行動が、誰かや何かにつながっている。

    そうした感覚が、思っている以上に大切なのではないでしょうか。

    私自身、退職後しばらくしてから、ようやくそのことに気づき始めました。
    自由だけでは足りない。
    必要なのは、自由な時間の中に、自分なりの意味を置いていくことなのだと。

    最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
    次回は、私が退職後に始めたひとり旅と、その先で感じた虚無感について書いてみます。

    ーーーー

  • 第2話 定年退職は、もう“隠居”ではなくなった

    定年退職という言葉には、どこか一区切りの響きがあります。

    長く働いた。
    よく頑張った。
    あとはゆっくり過ごせばよい。

    昔であれば、それは自然な感覚だったのかもしれません。
    60歳で会社を離れ、あとは年金を受け取りながら、趣味や家族との時間を楽しむ。
    いわゆる「隠居」という言葉にも、ある種の穏やかさがありました。

    しかし、今の60歳前後は、本当に隠居する年齢なのでしょうか。

    私の実感としては、まったくそうではありませんでした。

    退職した直後、まず感じたのは、体力的にはまだ働けるということです。
    もちろん若い頃と同じとは言いません。
    徹夜も無理ですし、無理な飲み会の翌日はこたえます。
    しかし、頭も体も、まだ十分に動く。
    経験もある。
    社会に対して何かできる余地もある。

    にもかかわらず、会社という仕組みの中では、ある年齢を過ぎると急に扱いが変わっていきます。

    役職定年。
    再雇用。
    嘱託。
    出向。
    賃金の見直し。

    もちろん企業にも事情があります。
    利益を出し続けなければならない以上、年齢の高い社員をいつまでも同じ条件で雇い続けることが難しい面もあるのでしょう。
    それは頭では理解できます。

    ただ、当事者としては、なかなか簡単には割り切れません。

    昨日まで責任ある立場にいた人が、ある日を境に肩書きを失う。
    会議での発言力が弱くなる。
    部下だった人が上司になる。
    給与も下がる。
    それでも雇用は続いているのだからよいではないか、と言われる。

    たしかに、雇用が続くこと自体はありがたいことです。
    しかし、人間は賃金だけで働いているわけではありません。
    役割や承認、自分がここにいてよいという感覚も、働くうえでは大きな意味を持っています。

    退職や役職定年で失われるものは、仕事そのものだけではありません。
    名刺、肩書き、社内の人間関係、毎日の行き先、自分が必要とされている感覚。
    それらが少しずつ、あるいは一気に手から離れていきます。

    この喪失感は、外から見るよりもずっと大きいものではないでしょうか。

    一方で、現代の健康寿命は伸びています。
    細かな数字は年によって変わりますが、少なくとも多くの人にとって、60歳や65歳で人生が終わりに向かうという感覚ではなくなりました。
    退職後にも、まだ10年、15年、場合によってはそれ以上、元気に活動できる時間が残っています。

    これは喜ばしいことです。
    しかし同時に、難しいことでもあります。

    なぜなら、退職後の時間が長くなったぶん、その時間をどう生きるかという課題も大きくなったからです。

    昔のように、退職後は数年ゆっくりして、あとは自然に老後へ入っていく、という時代ではなくなりました。
    今は、退職後にもう一度、自分の生活を組み立て直す必要があります。

    仕事を続けるのか。
    学び直すのか。
    地域に関わるのか。
    趣味を深めるのか。
    家族との関係を見直すのか。
    一人の時間をどう扱うのか。

    これらを、誰かが自動的に用意してくれるわけではありません。

    会社員時代は、会社がかなりの部分を決めてくれました。
    出社時間、会議、目標、評価、役割。
    不満も多かったのですが、同時に、人生の枠組みを会社が作ってくれていたとも言えます。

    退職すると、その枠組みが外れます。
    自由になります。
    けれど、自由になるということは、自分で決めなければならないということでもあります。

    ここで戸惑う人は、決して少なくないと思います。
    私自身もそうでした。

    定年退職は、もう単なる隠居ではありません。
    むしろ、人生の後半をどう設計し直すかという、大きな転機なのではないでしょうか。

    そして、その転機は、準備なしに迎えるには少し大きすぎるものかもしれません。

    最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
    次回は、退職後によく語られる「悠々自適」が、なぜ思ったほど簡単ではないのかについて書いてみます。

    ーーーー

  • 第1話 人生7回裏に差し掛かった人たちへ

    投稿者名:七回裏の男

    はじめまして。七回裏の男と申します。

    長く会社員として働いたあと、私は定年より少し早く会社を離れることになりました。
    理由はいろいろありますが、ここでは細かな事情には触れないでおこうと思います。身の上話を細かく書きすぎると、読む方にとっても少し重くなりますし、私自身の身元にも関わってきますので。

    退職後は、それまでとはまったく違う分野を学び直し、いくつかの資格も取りました。
    ただ、資格を取ったからといって、すぐに人生が劇的に変わったわけではありません。むしろ、その過程で見えてきたのは、退職後の人間が本当に求めているものは、資格そのものよりも、居場所や役割なのではないか、ということでした。

    このブログは、定年退職、あるいは早期退職を迎えた同世代の方に向けて書いています。

    タイトルにある「人生7回裏」という言葉は、野球の比喩です。
    人生を9回まである試合だと考えたとき、60歳前後は、まだ試合が終わったわけではありません。
    ただし、1回から6回までとは、少し戦い方が変わってくる時期でもあります。

    若い頃のように、力任せにフルスイングすればよいわけではない。
    けれど、まだ8回も9回も残っている。
    もしかすると、ここから試合の流れが変わることもある。

    そんな意味を込めて、「7回裏」と呼ぶことにしました。

    会社員生活を長く送っていると、自分でも気づかないうちに、会社の中での肩書きや役割が、自分そのもののようになっていきます。
    名刺があり、部署があり、役職があり、予定表が埋まっている。
    毎朝行く場所があり、会う人がいる。
    それは窮屈でもありますが、同時に、自分の輪郭を保ってくれるものでもあったのだと、退職してから気づきました。

    仕事を離れると、時間はできます。
    自由にもなります。
    しかし、その自由は、最初から心地よいものとは限りません。

    自由になったはずなのに、どこか落ち着かない。
    予定がないことに安心するどころか、不安になる。
    朝起きても、行く場所がない。
    誰からも呼ばれない。
    誰にも必要とされていないような気がする。

    私自身もそうでした。

    もちろん、退職後の感じ方は人それぞれです。
    すぐに趣味に打ち込める人もいるでしょう。
    地域活動に自然に入っていける人もいると思います。
    家族との時間を心から楽しめる人もいるかもしれません。

    ただ一方で、私のように、思ったよりも退職後の時間を持て余し、自分の存在価値のようなものを考え込んでしまう人も、少なくないのではないでしょうか。

    このブログでは、私自身の退職後の体験をもとに、居場所、生きがい、学び直し、夫婦の距離感、人とのつながりについて書いていきます。
    ときどき、キャリアや心理学の考え方にも触れますが、難しい論文の解説をするつもりはありません。
    あくまで、同じ時期を歩いている方と一緒に考えるような文章にしたいと思っています。

    人生7回裏。
    まだ試合は終わっていません。

    ただ、これまでと同じ打ち方では、少し苦しくなる場面もあるかもしれません。
    では、これからどう打席に立つのか。

    そんなことを、少しずつ書いていきたいと思います。


    最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
    次回は、定年退職がなぜ昔のような「隠居」ではなくなったのかについて、考えてみます。

    ーーーー